「他人の救いを喜ぶ心」  07.10.07
                  ヨハネ福音書 3:22〜36

  天においてざわめきたつような喜びがあります。それは、神さまの
側から離れていたひとりの人が、悔い改めて、神さまの所に戻って
きた時に起こる喜びです(ルカ福音書15章)。本来あるべきところから
離れ、滅びる状態にある、羊、銀貨、息子を神さまは放っておかれは
しません。追いかけ、探し、帰りを待ち続けるお方です。あるべきところ
から離れてしまった罪も、神さまご自身が片を付けてくださいます。
 御子イエス・キリストの十字架と復活によって、罪許された者として
立ち返ることが許されます。そして、ご自身の所に戻ってきた者を、
神さまは、大喜びで迎え入れられるのです。私たちクリスチャンは、
自分自身がそのように大喜びをされている存在であることを、
よく知っておくべきです。
  天上の喜びは、私たち人間の日常の喜びよりもずっと確かな
ものです。私たちの喜びというのは、一時的で、困難や悲劇に会うと
すぐに消え去ってしまうようなものが多いのではないでしょうか。
しかし、永遠なる神さまの喜びは、永遠の喜びです。永遠の命に
関する事柄でありますから、その喜びも永遠の事柄です。
  私たちの歩みにおいて、喜びを消し去るような悲しい出来事に
出会うことがあります。喜ぶことのできない嘆きや痛みに出会います。
しかし、そんな自分であったとしても、今も、これからも、天上の大きな
喜びに包まれていることを疑う必要はありません。
 洗礼者ヨハネの弟子たちが、登場します。彼らは、人々が主イエスの
所に行くことを快く思えず、ねたましく思っていました。しかし、洗礼者
ヨハネは、それを喜んでいます。彼は、天上を見つめ、天上で何が
起こっているのかに心を向けていたからでしょう。また、主イエスに心を
重ねることで、主イエスの喜びを自分も一緒に喜ぶ心になっていました。
 地上の事柄や自分の損得ではなく、天上の喜びや主イエスの
喜びに心を合わせるときに、周囲に起こる事柄や、人に対する
見え方は、御心に沿った豊かのものに変わるでしょう。